霊明神社4世神主・歳太郎の娘で、東京で養女に出された賀代には、高橋梅子という娘がいる。高橋梅子は人間国宝となった女流長唄唄方・杵屋佐登代である
明治44(1911)年1月、東京旧両国の東日本橋に生まれる。数え6歳より4世・杵屋佐吉の手ほどきを受けた
大正12(1923)年、帝国劇場で6代目菊五郎主催の「踏影会」に4世杵屋佐吉作曲の舞踏劇「たそがれの賦」に唄方として初舞台を踏む
また、同年、当時のフランス大使(詩人でもあった)ポール・クローデル氏の作詩、4世杵屋佐吉作曲の「女と影」に日本音楽として初めてオーケストラ形式による演奏に出演
大正14(1925)年から杵屋佐登代を襲名
昭和8(1933)年長唄玲韻会を結成し、指導にあたる
戦時中、疎開することはなく、自宅に日本橋で最大といわれる規模の防空壕をつくった。3月10日の東京大空襲では近隣の世帯家族を迎え入れ、一帯が焼け野原になっても火災に遭わず、家財道具が無事だったことは語り草となったそうだ
昭和43(1968)年5月、椿山荘「ときわ会」で皇后以下皇族ご臨席のもと自作品「扇の寿」を親友の水谷八重子の舞で御前演奏
昭和45(1970)年、NHK芸術祭参加作品「榎」の演奏で優秀賞
昭和48(1973)年11月に紫綬褒章
昭和51(1975)年、「惜しむ春」「五月雨」のレコードに対しビクターより奨励賞。翌年もレコード「杵屋佐登代選集」に対してビクターより奨励賞
昭和58(1983)年4月に勲四等寶冠章を受章し、昭和62(1987)年4月に重要無形文化財個人所有者(いわゆる人間国宝)に認定される。平成4(1992)年に第43回日本放送文化賞を受賞。平成6(1994)年8月に東京都中央区での初の名誉区民に選ばれた
作曲に長唄「竜田姫」「蓮月尼」「信田妻」、アルバムに「四世杵屋佐吉名曲選集」などがある
テレビ・ラジオ、舞台にも数多く出演し、多くのレコードを残した。古典・新作共に定評。演奏は明るく明瞭で、常に大輪の花の雰囲気があったと
平成9(1997)年10月18日に神去る
高橋梅子は、母・賀代が霊明神社の娘として生まれたことを誇りに思っていた。霊明神社にも幾度となく訪れ、村上家と交流を図りました(写真や手紙などもたくさん残っている)。霊明神社への支援も惜しまなかった
遺言により、高橋梅子の奥都城は霊明神社南墓地の村上家の墓所にある。祖父・歳太郎の奥都城の前にあり、懇意にした七世神主・壽延夫婦の奥都城の隣に並んでいる